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最高裁判所第三小法廷 昭和34年(し)60号 決定

主文

原決定および原裁判所裁判長が昭和三四年一〇月三日証拠書類等閲覧に関し検察官に対してした命令を取り消す。

理由

大阪地方検察庁検事正竹原精太郎の特別抗告の趣意は末尾添付のとおりである。

原決定理由は特別抗告申立趣意第二点に引用する東京高等裁判所の昭和二五年(う)第四一二〇号同二六年三月三〇日第一三刑事部判決、昭和二六年(う)第五〇〇〇号同二七年六月二五日第二刑事部判決のほか同裁判所昭和三〇年(う)第二七六号同三二年二月二七日第七刑事部判決の各趣旨に相反するところがあり、右各判決はこれを変更すべきものでないこと後記のとおりであるから、本件特別抗告は理由があるといわなければならない。

すなわち、

検察官が公益の代表者として訴訟において裁判所をして真実を発見させるため被告人に有利な証拠をも法廷に顕出することを怠ってはならないことはその国法上の職責である。また訴訟の集中迅速審理には弁護人と同様、特別の事情のない限りこれに協力することが望ましいことである。しかし、原決定は検察官の真実発見義務のうちにその所持する証拠を弁護人に閲覧させるべき義務の根拠を見出そうとする点があるけれども、訴訟における裁判所なり検察官なりの真実発見の方法は訴訟法規の軌道に乗って行われるべきこというまでもない。よって、検察官が所持の証拠書類又は証拠物につき公判で取調を請求すると否とに拘わりなく予めこれを被告人もしくは弁護人に閲覧させるべき義務を定め、あるいは裁判所がかような証拠を弁護人に閲覧させるべきことを検察官に命令しうることを定めた法規が存するか否かについて検討する。

公訴の提起後、裁判所が当事者から提出されまたは職権で作成もしくは押収して、保管する訴訟書類(証拠書類を含む)および証拠物を弁護人が閲覧、謄写する権利とその条件および弁護人を持たない被告人が公判調書を閲覧する権利と条件については、刑訴法四〇条、四九条の一般的規定を見るのであるが、公判裁判所の管理に属せず裁判所がその存在および内容について知るところのない検察官所持の証拠書類、証拠物について検察官が公判において取調を請求すると否とを問わず、またそれらが証拠能力、事件との関連性を有すると否とを問わず、証拠調前予めこれらの全部または一部を弁護人に閲覧する機会を与えるべく裁判所が検察官に命令することができること、もしくは当然弁護人に閲覧させるべき義務あることを定めた一般的法規の存することは認められない。

刑訴法二九九条一項は検察官、被告人又は弁護人が証拠書類又は証拠物の取調を請求する場合に関し、請求の条件として、予めその証拠方法を相手方に閲覧する機会を与えなければならないことを規定し、刑訴規則一七六条の三は、第一回の公判期日前に、右規定により、訴訟関係人が相手方に証拠書類等を閲覧する機会を与える場合には、できる限り、五日(簡易裁判所では三日)の余裕を置かなければならないことを規定するが、これらの規定は当事者が特定の証拠書類等の取調を請求する場合にのみ関する規定であって、その取調を請求すると否と、また証拠書類等が証拠能力、事件との関連性を有すると否とを問わず、その所持の証拠書類等の全部を無差別に相手方に閲覧させる機会を与えるべき義務を定め、もしくは裁判所がこれを命令しうべきことを定めたものではない。単に当事者の攻撃防御を適切、迅速、集中的に行わせるため、第一回の公判期日前もしくはその後の公判の段階において、当事者が特定の証拠書類等の取調を裁判所に請求するについては、相手方に予めこれを閲覧させるべきことの条件を定め、もって相手方にその証拠の存在、内容を知らせその取調に関し速かに異議を申立てることをえさせようとするに過ぎないものである。当事者が取調を請求することを決するに至らない証拠書類等をまで予め相手方に閲覧の機会を与えなければならないことを定めたものではない。

刑訴法三二一条一項二号後段により証拠とすることができる書面については、検察官は、必ずその取調を請求しなければならない(刑訴法三〇〇条)。が、かような検察官に対する供述調書のような書面について検察官に公判での取調請求義務が生ずるのは、供述者が公判又はその準備期日で右供述調書と相反するかもしくは実質的に異った口頭の供述をした後であってしかも供述調書の方を信用すべき特別の情況の存すると認められうる場合に限られること明らかである。

また刑訴規則一九三条によれば、公判において、検察官は、まず、事件の審判に必要と認めるすべての証拠の取調を請求しなければならず、その次に、被告人又は弁護人は、事件の審判に必要と認める証拠の取調を請求しなければならない。これは当事者が最初証拠の取調を請求するに当っては各自が必要ないし適当と認める証拠の全部を同時に取調請求の対象としなければならないとの趣旨であって、被告人の冒頭陳述もしくは他の諸証拠に照らし不必要と認められる証拠をまで証拠調の段階もしくは他の訴訟段階で検察官が弁護人に閲覧させなければならないことを定めたものでないこと明らかである。

その他の刑事訴訟法規をみても、検察官が所持の証拠書類又は証拠物につき公判において取調を請求すると否とに拘わりなく予めこれを被告人もしくは弁護人に閲覧させるべきことを裁判所が検察官に命ずることを是認する規定は存しない。

以上の理由から、前記東京高等裁判所の三判決はその趣旨においてこれを維持すべきものと認めるので、これと異る見解に立つ原審裁判長の本件命令およびこれを是認した原決定は他の特別抗告趣意について判断するまでもなく失当でありいずれも取り消されることを免れない。

よって刑訴法四三四条、四二六条二項に則り裁判官垂水克己の後記補足意見あるほか裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する。

裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。

一 検察官は公益の代表者という公正であるべき当事者であるから、無罪、刑の減免その他被告人に有利な裁判をなすべき事実の証拠は、裁判所が証拠能力、関連性又は信用性なしと見るであろうと考えるものの外、すべて公判に顕出すべきものであり、もし証拠調の結果犯罪の証拠不充分と認めるに至ったときは無罪の論告をなすべき職責を有するものである。従って、検察官としては所持の物的証拠について公判で取調を請求する前に被告人側にこれを見せることは、故意過失による証拠の湮滅、他の共犯その他の牽連事件の捜査、訴追に対する重大な支障を来たす虞が強くない限り、拒否するに当らない筈ではないのか。

二 検察官所持の証拠書類、証拠物が公判に出される前に予め被告人又は弁護人がこれを見ること(ディスカヴアリー)の権利は、米連邦では、刑事訴訟法規の明文で、個々の特定の証拠について、裁判所の判定に従いそれが一定の要件を具える場合に認められることを規定した場合に限り例外的に存するに過ぎず、英国では、刑事の原被告対等の関係からであろうか、かような権利は認められないもののようである。英米では事実の判断者は陪審であって、裁判所ではないから、公判の証拠調前に裁判官が予め公判に顕出されようとする特定の証拠についてその証拠能力や事件との関連性を検討した上相当と認めてこれを被告人側に閲覧させるよう検察官に命じてもよいが、わが国の裁判官は事実の判断者であるから、検察官が公判の証拠調の段階で出すか出さないか判らない証拠を被告人側の請求によって予め点検した上相当と認めるときはこれを閲覧させるよう公判裁判所又はその裁判長が命ずることは、起訴状一本主義(起訴状には裁判官に予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添付、引用してはならないとする刑訴法二五六条六項)に反するであろう。当該事件の公判裁判所の構成員でない準備手続裁判官がかような命令を出すことにしても、その判断は公判裁判所の判断とくいちがったりして妥当でないものになるかも知れない。

記録によると、起訴後八ケ月を経て開かれた原審第一回公判期日において、全被告人の人定質問の問答が終っただけで、未だ検察官の起訴状朗読に入らない前に、弁護人から検察官所持の証拠を弁護人に閲覧謄写させられるよう、それまでは公判審理にはいらないよう要望があった。検察官は取調を請求する意思ある被告人の供述調書その他一、二の証拠については既に弁護人に閲覧させた、その余の証拠については現段階では取調請求の意思従って閲覧させる意思はないと答えた。第三回公判期日において裁判長は「証拠書類等閲覧問題についての裁判所の見解」を詳述の上、検察官に対し「弁護人に対し、直ちに本件手持証拠の全部を閲覧せしめること」を命令したのである。

今、この命令が適法であると仮定して、命令の効力如何。検察官が命令に服しなかった場合、懲戒などの処置がとられるか否かという刑訴規則三〇三条二項の問題を含む問題は別問題とし、本件訴訟の上での命令の効力如何。

検察官が手持証拠の全部又は一部の閲覧もしくは謄写をさせない以上、裁判長は起訴状朗読、被告人の答弁をさせ、殊に証拠調をする段階に入りえないか、入らなくてもよいか否か。そもそも裁判長は検察官が命令を不完全にしか履行していないことやその不履行が公判の進行を停めるに値するものであるか否かを起訴状一本主義の下で、どうして知り判断しうるか。殊に被告人の冒頭陳述さえ聴かない段階で、一方で、本件命令を出しておいて、裁判所は、多分閲覧に要するであろうと思われる日時を経た後、起訴状朗読、被告人の冒頭陳述、検察側証人の主尋問にまではいること、更には反対尋問や被告側の証人尋問にはいること、更には最終弁論にはいることができるか否か。仮りに弁論終結にまで行ったとき、かような公判手続が無罪判決の差支になるとは考えられない。検察官が命令に服し全証拠を閲覧させたと信じて弁論を終結した後、物証の一部を忘れていたことを発見したとしても、その物証が採るに足らぬものないし公判に顕出された全証拠に何等プラスにもマイナスにもならないものなら、命令違反は判決に影響せず、弁論再開にも及ばないのではないか。控訴審に至って右発見がなされたとしても、命令違反が当然判決に影響するといえないことがすくなくないかも知れない。

裁判所は命令の不完全履行のままで一応相当程度証拠調を進め、然る上命令にかかる検察官未提出証拠を提出させるか、何らかの職権証拠調をするか、命令を撤回するかすることは許されないか。検察官が「直ちに閲覧させること」の本件命令に服しないときは、不完全履行の程度、内容を問わず、裁判所は検察庁を捜索し本件の証拠書類、証拠物を差し押えることができるのか。それとも、公訴を棄却する裁判をすることができ、この裁判があった以上同一事件の再度起訴も許されないとするのか(これでは真実発見も何処へやら行ってしまう)。

右事前閲覧権は弁護人にだけあって、被告人にはないのか。閲覧のみならず謄写、撮影することを、各弁護人が無期限にできるのか。閲覧できる以上謄写、撮影までさせなければ合目的的でないであろう。公判に未だ出されない検察側証拠が謄写撮影後、新聞雑誌に公表論議されることが、これを法廷侮辱罪として取締らないわが国ではないとはいえない。万一左様なことになれば憲法の重視する公判を閑却することになるとともに、公判の証拠調前それらを公判裁判官が認識し予断を抱く虞を生じないとも限らない。これを防止する法的措置があるであろうか。

英米では予備審間における証人等の供述を被告人側も知ることができ、また、わが旧刑訴では全証拠書類、証拠物が起訴状とともに裁判所に送られていた。現刑訴法では起訴前の全証拠を被告人側が起訴状朗読前に見る機会は局限される。検察官は証拠湮滅や訴訟遅延の目的からの証拠閲覧請求に協力する責務はないが、かような事件がいくらあるか。

以上いろんな点について現行法規は備わっていないと解される。

(裁判長裁判官 垂水克己 裁判官 島 保 裁判官 高橋潔 裁判官 石坂修一)

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